値段 8euros

広告代理店に勤めるOL由美は厄年の32才にフランスへ留学。語学学校に通 い、剣道クラブで仏人たちと交流し、やがて念願のパリ大学映画学科に合格。そしてBFパスカルとの結婚のためフランスに残ることを決めるまでの2年間を描く痛快エッセイ。
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芝山由美
<プロフィール>
自分の体験談のみを書き連ねるエッセイスト。著書にフランス留学体験談を記した『夢は待ってくれる』。不妊治療からベビー誕生までを書いた『べべちゃん教育』をビズ・ファミーユに5年にわたって連載した。

 帰国して、1週間後に息子は5歳の誕生日を迎える。日本滞在が楽しかったのか、戻ってすぐに、もくもくとひらがなを書く練習に精を出すようになる。とある水曜日、エベイユ学園のお迎えの時間に先生から「kenくんがひらがなの積み木の“ね” と“わ”と “れ”をどうしても持って帰るというので、お貸ししますね」と言われた。違いを研究したかったのだろうか?
また、市の心理医療センターに電話して、発音矯正士の元に2回通ったが一言も口をきかなかった、と話すと、「センターと契約している“難しい”子に慣れた矯正士を紹介するから」と言われる。指定された日の午前中に学校を休み、心理医療センターに行くと、以前会った発音矯正士と同じくらいの年齢のマダムが待っていた。まずは息子に好きに絵を描かせ(と言ってもひらがなを書いていたが)、その後、色々と話しかけてきたが、息子はひらがなを書くのを邪魔されたことを不快に思ったらしく「家に帰る!」と日本語で言い放つ。また、来週試してみましょう、と言われ、再度そのマダムと会うが、同じ結果だった。すると、「この子にはグループ治療がいいかもしれませんね」。4~5人の子どもたちに一緒にゲームをさせたり、会話をさせながら発音矯正をするのだという。以後、毎週火曜と金曜の朝9時から10時15分に行われるグループ治療に参加することになった。
最初の治療の日、待合室にいると、息子と同じ年頃の女の子一人と男の子二人がやって来て、女の子が息子に「ken!」と声をかけた。息子はもじもじしていたが、同じ学校に通う子らしい。息子以外の子どもたちはすでに顔見知りらしく、待合室でもぺちゃくちゃ話していて、言葉に問題があるようには見えなかったのだが。まもなく発音矯正士ともう一人センターのスタッフらしい女性が来て、子どもたちと一緒に診療室に入って行く。私は待合室で本を読んでいたが、時折子どもたちの笑い声が聞こえてきた。他に、男の子に付き添ってきたおばあちゃんが一人、雑誌を読みながら待っていた。フランスのママたちは働いている人が多いので、みんな付き添いはどうしているのだろう?治療の後、息子を学校に車で送り届けると、グループにいた子ども二人がタクシーで到着した。センターの治療や面接はすべて無料だが、送り迎えをしたり、それができない場合はタクシーを雇ったり、とけっこう親にとっては負担になるな、とその時は思ったのだが、実はそのタクシー代も保険でおりることが後で分かった。

息子は週2回楽しそうにグループ治療に通うが、何をやっているのか尋ねても、「知らない」と答えるだけだ。6月半ばに心理士のマダムLと再び面接する。グループ治療のこと、日本に一か月間戻った時に大病院で診てもらったことなどを話す。すると、急にマダムLはまじめな顔つきで、「あなたのお子さんは正常です。問題はあなたにあります」!何だろう、藪から棒に?と驚いていると、「あなたは、日本語と日本の文化を子どもに押し付けているのです。それで彼はフランス語が話せないのです」。マダムLは、我、真犯人見つけたり、という顔で、きっぱりと言い放った。前回、彼女は日本語で話すのは問題ない、と言ったはず。日本の大病院で診てもらった、と言ったのが癪にさわったのか?しかし、文化の押し付けとは大きく出たものだ。うんざりしながらも、自分は日本の大学で仏文学を専攻したこと(授業にはあまり出なかったけど)、フランス映画が好きで、その勉強のためにパリに来て、大学の映画学科に入ったこと(途中で辞めたけど)、とフランス文化に私自身が関心を持っていることを示し、さらに少なからずフランス人の友人、知人がいること(剣道仲間や夫の友人程度だが)を話し、「パリに住む日本人ママの中には、フランス語が苦手で、フランス文化にも興味がなく、日本人コミュニティの中で過ごしている人もいますが、その子どもたちは日仏語を話し、現地校にもなじんでいます」とも言ってみるが、マダムLは聞く耳持たず、といった様子で、「いいえ、原因はあなたです」ときた。何だか、警察の取り調べ室で、刑事から「殺った(と書いて“やった”、と読む)のはお前だ!」と怒鳴られる容疑者の気分だ。もちろん取り調べ室などに入ったことはなく、映画や刑事ドラマで見ただけだが。言い返す言葉を探していると、マダムLは事務的に「時間ですから、次の面接は・・」と勝手に切り上げる。部屋を出た後に「何を根拠にそんなこと言うのですか?」とストレートに切り返せばよかった、と後悔。次回にそう言ってやる!と決意したが、その後、センターの秘書からマダムLの都合で次回のアポは取り消しで、ヴァカンス後に改めて日時を決めたい、と連絡がある。言いたいこと言って、ヴァカンスかよ!と何だか腹が立った。

夏休みに入る1週間前、つまり年中クラス最後の1週間を迎える直前の土曜日に、再びクラス担任との面接があった。二人の担任によると、学期初めに比べると、息子は一人でおもちゃ遊びをすることが少なくなり、他の子どもたちと行う作業にもかなり参加するようになったという。最後に木・金曜日の担任が「知っていますか?Kenはもう掛け算ができるんですよ。ヴェジネの町にSurdouéのアソシエーションがあるから、一度連絡してみたら?」。Surdouéとは、ギフテッドつまり英才児のことである。息子が算数の能力に秀でていることは以前の面接でとっくに話したが、その時は二人とも関心を示さなかった。今までは息子の欠点しか目に入らず、もうすぐ担任が終わる、つまり責任から解放される時期に、やっと長所にも目を向けるようになったのか?と思うと何となく面白くない。息子も同じことを感じたのだろうか?夏休み後、年長クラスに上がった時、新しい教室の廊下の一つ一つのコート掛けの上に、ハガキ大のラベルが貼ってあり、児童の名前と子どもの顔の絵が描かれていた。新しい担任が、自分の顔を描くように指示したのだろう。ところが、息子のラベルだけは、顔の代わりに掛け算の数式が書かれていたのである。