「日本Chambre d'hote奮闘記!!!」ROLLAND 広川直子

日本Chambre d'hote奮闘記!!!(1)

フランスでの生活は気に入っていた。言葉の不自由は常に感じるものの、豊かな自然とシックな建物が見事に調和した街並み、他人の目を気にしないフランス的個人主義も肌に合った。しかし、仕事探しという難関をずっと突破できなかった。
これは、「私が」ということではない。外国人の私がフランスの地方都市で正式に雇用されるなんてことは難しくて当然である。そうではなく、私の夫(フランス人)が正社員として雇用されるということの難しさを言っているのだ。フランス人と結婚して、悠々自適な生活が送れる!なんて甘い考えを持った私はこの厳しい現実の前に叩きのめされた。

そんな折、母親から引越しをするので今現在両親が住んでいる家(要は私が育った家)が空くので、売るのもなんだし良かったら帰って来て好きに使えば?というような話が来た。このままフランスに住んでいても、仕事が安定してない以上小さいアパートでも買うことは難しい。夫は日本語はおろか英語も話せないので言葉の問題で結論を出すのを渋っていたが、折角の機会だし、ここで心機一転を図るのもいいかもと段々その件に乗り気になってきた。日本への帰国はこうした我が家の経済的理由などにより決定された。

この家は増築に増築を重ねたから、二人で暮らすには広すぎる。余った部屋などで何ができるだろう、と考えた結果がSalon de the兼Chambre d'hoteだと言うわけだ。私たち夫婦は合気道の 道場で知合い、道場の人で「日本に行きたくても物価が高いと聞いていて、なかなか行くに至らないのだ」という人が結構おり、そんな人たちを対象にして手軽な値段設定で寝室と朝食を提供するシンプルな宿をやりたいね、という風にプランが進んでいった。

ただの民家でどうやって宿として県に申請できるのか、火災予防条例なんかで色々規制があったりするんじゃないだろうか、など調べなくてはいけないことが山ほどあって本当に宿として認可されるのか全く分らないまま、伊豆なんかで漁師さんたちが自分たちの家で民宿やれているんだから何とかなるだろうという気楽な考えで自分たちで手作りの名刺を作り、「日本に行って宿やるんで、もしこっちに来るようなことがあったら利用して下さい」と言って皆に名刺を配り歩いてしまった。
日本への帰国まであと一ヶ月、私たちの新たな生活の一歩はこうして妄想の中で進められていった。

日本Chambre d'hote奮闘記!!!(2)

5月の終りに帰国して2ヶ月、両親の引越しを手伝ったり諸々の煩瑣な手続きがあったり、フランスからの荷物が船便で届いたりのあれこれであっという間に過ぎてしまった。ようやっとChambre d’hoteの件で動ける時間がで き、活動を開始した。その間、日本ではサロン・ド・テというよりはカフェといった方が受けがいいということ。Chambre d’hoteというよりはGiteもしくはホステルといった名称の方がぴんとくるということ、など新たな発見があった。

旅館法などの申請は市役所にするのかと思って、まず市役所市民課みたいなところに連絡したが、そういったものは保健所の生活衛生薬事課で申請をするということで早速連絡。これこれこういう目的のものを自宅を利用してやりたい旨を説明。しかし、担当の田中さん(仮)はあくまでシニカルだった。許可云々より前にまず家の図面を持って来いとのこと。二十年近く前の建築設計図をなんとか探し、建て増しした部分とあわせて提出してみた。田中さん(仮)は相変わらずシニカルな表情をたたえながら「広いようですが、あくまで普通の民家ですよね。なんだか台所がいくつもあるようだから、一応見込みはありますが、なかったらお話になりませんよ」みたいな調子。とりあえず言われたことは次の2点、図面が新旧部分が別々で見難いので新旧部分が全て1枚で書かれた設計図を新たに持って来いとのこと。そして、旅館の為の適合証明を消防署から貰うようにということ。「消防署の適合証明はなかなか難しいですからねぇ。そこをクリアできたようでしたら、改めてそれらの書類と共にこちらにお越しください」ということで話が終った。目的が外国人対象だということを話したので、「あぁ、要はホームステイに毛が生えたようなのをやりたい訳ね」と言われたので、いざ許可が下りないようだったらホームステイをさせているということで押し通すか、と2次案も決まった。だって、実はもう既にこの2ヶ月ですでにホームステイという名義で8人ものお客さんを泊めてしまっていたのだ。内訳は合気道関係のイギリス人一人と空手関係の仏領サン・マルタン人6人。まだ、準備段階だというのに宿をやるつもりなんです、というだけでこんなに来るんだからいかに日本に気軽に泊まれる宿が少ないかというものだ。欧米人は得てしてケチだから豪勢な都心のシティ・ホテルに泊まるより気軽な宿を欲しているということなんだろう。

とりあえず、次にやることは設計士を探すことだ。とにかくやれるとこまで頑張ってみよう!と心に決めた7月の昼下がりだった。

日本Chambre d'hote奮闘記!!!(3)

やった!ついに保健所の許可がおりて晴れて2005年10月17日に「カフェ・シェ・ジョニー」がオープンした。あれ?カフェだけ?と思われるかもしれない。Giteについてはややこしい話がでてきたのだ。なので、とりあえずカフェだけを先に開店させてGiteについては持久戦でいこうということになった。カフェの許可だけでもオープンに至るまで結構大変だったのだ。
まず、飲食店を開業するまでに1.厨房の流しは二槽式にしなければならない。2.厨房には流しの他に手洗いを設けなければならない。3.厨房と客席を跳ね戸等で仕切らなければならない。4.厨房の床は耐水構造になっていなければならない。5.トイレの他に手洗いを設けなければならない。6.衛生管理責任者の資格を取らなければならない。などなど。これらを自宅の台所等をリフォームして、資格は以前母のやっていた喫茶店で取得したのを使えるとして、いざ申請しようと思ったらまたぽろぽろと細かい指摘などがあがりなかなか申請にまですら漕ぎ付けない。なんだか一生かかっても申請できないような気がしてきた。最後の注文事項だった冷蔵庫の温度計はスーパーで買った製菓用の温度計をガムテープで冷蔵庫に貼って済ませた。なんだかこんないい加減なことしかできない自分が情けなくなってきたが、既にうちにまだきちんと機能する家庭用冷蔵庫がある限り、新たに業務用冷蔵庫なんか買う余裕も理由もないのだ。そんなこんなで9月30日、運命の立ち入り検査の日が来た。きっとまた何か言われてしまう…と気が気では無かったのだが、あっさりと許可が出てしまった。え?本当にもう明日からやっていいの?という感じだった。そう思ったら急に店のロゴもメニューも広告などの方法も何も考えてなかったことに気付いた。やっぱり店のイメージにもつながるロゴは多少お金を払ってもプロに頼んだ方がいいのではないかという気がした。でも、プロに頼むにしても我々が欲しいイメージを提示した方がいいと思って友人とかにも協力してもらい一緒に考えて貰った。しかし、そういうのを具現化してくれるプロってどこにいるの?タウンページに掲載されているデザイン事務所はインテリアとか建築設計系が主で店のロゴを扱っている事務所が分らない。近所にあるジャズ喫茶のオーナーに藁にもすがる思いでデザインをやってくれる人を紹介して貰った。最初はフランスを意識したデザインを考えたがなんだかエッフェル塔とかバゲットとかベタなのはやだったので結局筆で書いた文字にコーヒー豆の判を押すというデザインに落ち着いた。やった、これで私たち本当に開店するところまで来れたんだ!と思うと感無量だった。開店当日には沢山の知り合いからお花が届いて、嬉しくてしょうがなかった。でも、あれ?花にささっているのしみたいな紙片に「祝開店!カフェ・シェ・ジョニーロ」と書いてあるような気が…。あー!コーヒー豆の判がカタカナの「ロ」みたいに見えてしまっている!折角お金をだして考えてもらったデザインにとんだ落とし穴がついていたのだった。開店当日はお客の数よりも花の数の方が圧倒的に多いというものだった。最近は自宅の一部を客室に開放するレストランというのが鎌倉などのおしゃれスポットでは結構あるということだが、所沢の住宅街の真ん中にある我が家は人に知られる可能性が非常に低く、広告の必要性を深く考えさせられる結果になった。

日本Chambre d'hote奮闘記!!!(4)

喫茶店申請と同時進行で進めていた宿営業の許可取得。ここに日本的縦型官僚制度の落し穴を見た。
どのように申請をしていいか分らなかったのでまず市役所に電話した旨は第2回目に記述の通りだ。その後、保健所→消防署とたらいまわしにされた末、消防が言うには200以上の建物ならば自動火災報知機(以下、自火報とする)と誘導灯、要所々々に消火器の設置、それにともなう各種の申請書類の提出で許可になるという。200以下の建物だったら書類だけで済んだのに、よりによってうちの建物は201あってこの1に泣かされ、以下の条件をクリアしなければならなかった。自火報の設置は各1の閉ざされた空間及び各20の仕切りのない平面空間(だったっけか)家屋全てに設置しなければならず、しかも熱感知機と煙感知機両方が必要でかなりの費用になる。喫茶店のための改造で出費があった上にたったの1のためにこの数十万の出費は痛かったが、後であれこれ言われて営業許可がおりないのは癪なので、消防の条件をクリアすべくこれらの工事を敢行した。書類を用意し、消防の立会いが済み、ようやっと晴れて宿の営業が開始できる!と思った時に消防の人がふと「そういえば市の建築指導課の方への届出はどうしますか」と言った。は?である。何それ?市の建築指導課?はじめてそんな課のことを聞いた。というかなんで全ての設置工事が終った今頃?とりあえず建物の変更届とかいうのは市の建築指導課が取り扱っているという。でも、消防の人たちも自火報の業者の人も妙に歯切れが悪い。「まぁ、それはそれでやってもやらなくても…ごにょごにょ」みたいな感じ。何だそれ。こっちは正々堂々と宿をやれるようにきちんと行政機関に順序立てて聞いてきて、それ通りに進めてきたのではないか。ここまできたら市の建築指導課に行ってきっちり許可を取ってやる、と思い市役所へ向った。したらどうだろう、木造建物の3階以上は宿の許可が出ないと言うではないか。もし木造建物で宿をやりたければ柱という柱、屋根裏全てに防火用のカバーをかける必要がある、と、とてつもないことを言い出した。でもぉ、寛永4年創業(本当か?)とかいう老舗の旅館があるじゃないですか、とそれとなく突っ込んでみたものの、法律改正があり、それ以前に許可を取った建物は不問とするとのことだ。ますます、はぁ?である。しかも廊下と階段の開口部が何平方メートルなくてはならないとか、全く初耳の条件が幾つも飛び出してきた。それって、もしかしてうちは元々宿の許可が降りるような建物じゃないということなのか、という疑問が頭に湧いてきた。じゃあ、なんで自火報だなんだとつけさせて無駄な出費をさせたのよっ!凄く腹が立ってきた。市は市、消防は消防、保健所は保健所でそれぞれの仕事に関連をもたずにやっているから、知らなかったこっちがバカで済ませる気か。ここまできたら消防も自火報の業者も間に入った大工さんが仕切るので、とかいって逃げの態勢である。大工さんいわく「いやぁ、これで堂々と宿ができて良かったですね」と、市の建築指導の件はなかったことのように振舞っている。それを突っ込むと「どこも縦割り行政に泣かされて完璧にやれるようなところはないよ。ある程度の許可でやっちゃってるとこが殆ど。ここはきっちりやってる方だよ」。じゃあ、これでいいの?これで晴れて営業できるのかしら?と私もよく分らないけど、とにかくぽつぽつお客さんが来てくれているので、これでいいってことにしよう!と開き直るしかない我が宿の顛末でした。