マルシェの魅力

 エイメでは夏は特にイベントが多い。毎週木曜日の通常朝市加え、7、8月は毎週火曜日に夜市が出る。朝市は八百屋、魚屋、肉屋、チーズ屋、花屋と生鮮品を売る店が多いのに対し、夜はムール貝のワイン蒸しを初めソーセージバゲットと食べもの屋が多く目に付く。子供向けにわたあめも売られ、さながら日本の縁日である。小腹が減ったらムール貝を購入し、備えられたテーブルで食べよう。ワインは購入しても持参してもオーケー。そのほか「牡蠣とワインのフェスティバル」「ミディイーヴァル・フェスティバル(中世祭り)」とお祭り続き。何かにつけて仲間と集い、飲んで食べて楽しく過ごそうとする、陽気な人々の住むところである。

ペリゴール地方って、どこ?

さて、フォアグラやトリュフ、クロマニヨン人の洞窟などで知られるペリゴール地方とは、一体どのあたりなのであろうか。地図の県名にもないし、都市名にも「〜DE PERIGORD」とつくところはあっても、「PERIGORD」はない。実は、これを仕掛けたのはナポレオン。彼が県の再編成を行った際、ペリゴールの名を削除してしまった。変わって新しく名づけられたのが、ドルドーニュ。現在のドルドーニュ県は、昔のペリゴール県より多少小さい。名前の通り、ドルドーニュ川が県の南部を流れるが、北部と南部では文化も地形も異なる。実際、ホワイト、ブラック、グリーンそしてパープルペリゴールと4つの地域に分けられる。「ホワイト ペリゴール」は県庁所在地「ペリグー」を中心とした、ドルドーニュ県の真ん中に横たわる。この辺りでは石灰石が多く採れることから、ホワイトのカラーを与えられた。「ブラック ペリゴール」は壁画で有名な「ラスコー」のある南東部。ブラックはトリュフの色かと思いきや、この辺りで冬に鬱蒼と茂るオークの木を象徴している。「グリーンペリゴール」は「ペリゴールのヴェニス」と呼ばれる「ブラントム」の位置する北部である。グリーンはご想像通り、木々と水の織り成す美しいイメージを表している。そして最後に「パープル ペリゴール」。ペリゴール南部ベルジェラックを中心に、ブドウ畑が広がる地域である。よって、ワインカラーであるパープルの名を授けられたのである。「ラスコーの壁画」はあまりにも有名であるが、ペリゴールには歴史を語る多くの町や村が点在する。多くの町を訪れ、自分のお気に入りを探してみよう。

「フォアグラの秘密」

美食の代名詞フォアグラ。ご存知、ガチョウや鴨の肝臓である。新鮮なフォアグラはスライスしてソテーにするとおいしい。調理法は簡単であるが、味はかなり濃厚である。
さて、フォアグラと言えば「強制肥育」を連想される人も、多いのではないだろうか。これは肝臓を太らせるため、一定期間強制的に穀物を食べさせる給食方法である。「かわいそう・・・」という海外からの旅行者の声は絶えないが、実は古代エジプト人が慣習化した方法であり、歴史は古い。彼らは野生の渡り鳥たちが、海を渡る前に胃を満たし、肝臓に脂肪をつけることにヒントを得た。いわば、鳥たちの習性に従って編み出された方法なのである。通常は屋外で放し飼いにされており、強制肥育のときだけ拘束される鴨たち。放牧されている牛が乳を搾られるのと何ら変わりはない、というのが農家の見解である。
最後にもう一つ、フォアグラを使った料理でよく耳にする「テリーヌ」をご紹介しよう。スライスして前菜として食されるが、調理法からご想像いただきたい。まず調味したフォアグラをコニャックやアルマニャックに浸し、冷蔵庫で24時間寝かす。翌日、テリーヌ型に移し、オーブン皿に載せ、熱湯をはる。予熱させたオーブンで45分ほど焼く。あら熱が取れたら、1日〜6日寝かせる。ソテーと同様簡単な調理法である。日本でおなじみの鮟肝と同じく、この肝臓もかなりこってりとしている。メインコースの前に、食欲をそそる程度に少しいただくと調度よい。レストランはもちろんスーパーでも簡単に手に入るので、友達を夕食に招いたときに活用しよう。スライスしたフォアグラにトーストしたバゲットを添えれば、簡単な前菜の出来上がりである。

プルーンの産地

3月の終わり、プルーンの白い花が畑一面に広がる様子は、満開の桜の如く壮大で美しい。プルーンは整腸作用があり、日本でも健康家にはおなじみの美容栄養食である。鉄分を多く含み、エネルギーを少しずつ排出するので、スポーツ選手に重宝されている。ミネラルやビタミンの供給源としてお年寄りにも大変よい食べものだ。特にベータカロチンとポリフェノールは心臓血管病予防に効果的である。
ロット エ ガロンヌ県では古くからプルーンの木は存在したが、乾燥させて現在のように食べられるようになったのは、12世紀十字軍が類似の木をシリアから持ち帰って以来という。一人の僧侶がこのロット エ ガロンヌ産とシリア産、二つの木を掛け合わせ、太陽の光で乾燥したプルーンを見て、これは常備食になると発見されたのが始まりである。収穫されたプルーンはクレーと呼ばれる巨人の靴型をした、すのこのお盆に並べられ、特別なオーブンでゆっくりと時間をかけて乾燥させられるのが、この辺りの伝統製法である。
さてこのプルーンだが、フランス人にとっては美容食以上の価値がある、郷土料理には欠かせない食材なのである。ロット エ ガロンヌのプルーンと聞いて、ふやけてしわしわになったものを想像してもらっては困る。ここではサイズによって、さらに乾燥度によってグレード分けされる。調理用とそのまま食べるものとでは乾燥度が異なるのである。クラシック、半生、オーガニック、特別ソフトと選別される。なるほどプルーンも奥が深い。
さらに最近ではプルーンの種油を商品化する動きが盛んである。潰して絞られ、フィルターで濾された油は芳香と無添加の高品質を誇る。約80%がベビーオイルなど美容品として、残り20%が食用として用いられる。

ボルドーの日本食材

小さなアジアティックのお店は、今やフランス中の多くの都市で見かけられる。旧フランス植民地であるベトナム、カンボジア、ラオス人のお店、お客さんの中にも、彼らの姿をしばしば見かける。春巻きなど飲茶タイプのお惣菜は、フランス人にも大人気。スーパーでもレトルト食品を見かけるほどである。特に若い層に人気があり、朝市に出る屋台のお店で、揚げたてのお惣菜を頬張る若いカップルを目にする。不思議なもので、これはかなりの宣伝効力があり、「おっ、これはおいしそう、どこで売られているのだろう。」と誰もが市場中を探してしまうのである。と、このようなところが、現在フランスの地方におけるアジアフードの実情である。さて、今回ご紹介するのは、ボルドーにある大型アジア食材店である。さすがワインを求め、方々から人が集まるコスモポリタン都市。ベトナム人に限らず、さまざまな国籍のアジア人が集まる。店内は左右に陳列ケースが百メートルほど奥まで並び、さながら食料倉庫のようであるが、品揃えは豊富。お米、ラーメン、各種調味料、お茶、お菓子、生めん、お酒、さらにアジア野菜を売る八百屋コーナーまである。日本食も豊富でお米は「日の出」というイタリア産日本米が10kg16euroほどで購入できる。他にもみりんカレールーと思いつくものは、一通り揃っている。だが問題が一つ、日本産は高い。同じものでも韓国産、中国産の方がはるかに安い。物にもよるが、代用できるものは他国産を利用してみよう。それほど違いがないかもしれない。と、これはしばらく日本の日本食を食べていない、筆者の舌が麻痺してしまった可能性も高いので、あしからず。

SHOP DATA: -
EURASIE SUPERMARCHE ASIATIQUE
10 Avenue de Tourville 33300 Bordeaux
TEL: +33 (0)5 56 50 86 75
FAX: +33 (0)5 56 39 70 54
Mail: eurasie-bordeaux@wanadoo.fr
Site: www.eurasie-bordeaux.com
月―金 10:00−19:30
土 09:00−20:00

イギリス人の歴史

ドルドーニュ県には、多くのイギリス人が住む。別荘を持ちヴァカンスを楽しむ人、マイホームを購入し一年中、温和な気候を楽しむ人と、様々である。なるほどイギリスの冬は寒くしかも長い。南西フランスのように寒いけれど短い冬と違う。そのため関節炎は国民病のようなものである。高齢者に多いかとおもいきや、30歳代から悩まされる人もおり、暖かいところで暮らしたい、という希望は切実なものである。なんせ、イギリスの誇る(?)雨が降り、風が吹くと関節が痛み出すのであるから大変である。

さて、昔からこの地域に、イギリス人は多く住んでいたのであろうか。百年戦争でイギリスがフランス領土をめぐり戦い、ジャンヌ・ダルクの出現により敗退したことは有名である。ここアキテーヌがイギリス領になった歴史は、百年戦争以前、フランス人とイギリス人の共存の試みであった。アキテーヌとは中心都市をボルドーとした、ドルドーニュ、ジロンド、ランド、ロット・エ・ガロンヌ、ピレネー・アトランティックの5県を含む地域の名前である。その昔、アキテーヌは独立公国であった。ここに王妃アリエノール(Eleanor)が信心深いフランス王ルイ7世の元に嫁いだのは1137年。強い意志を持ち快活な性格の彼女は、フランスとイギリスの争いの解決に貢献してきた。しかし十字軍から帰国した王は離婚を決意。1152年に婚姻解消の後、アリエノールはイギリス王ヘンリー1世(Henry)の孫であるアンジュー(*)伯アンリ(Henry)と結婚。その際、アキテーヌ公国領を持参した。2年後アンリは見事イギリス王冠を手にし、ヘンリー2世(Henry)となり、アンジュー帝国(Angevin Empire)が生まれ、プランタジネット朝(The Plantagenets 1154-1399)の歴史が始まる。この時よりアキテーヌはイギリス支配下におかれ、以後百年戦争が起こるまで約300年、フランスとイギリスの融和の時代が続く。
(*アンジューはフランス北西部ロワール渓谷部の旧地方名である。)

現在、多くのイギリス人が住み、また800年前とは違った融和の時代が訪れているのではないだろうか。最近の移住組みには、2種類ある。一組目は20、30年前に別荘として購入し、定年退職後移住するケース。もう一組はユーロが導入され、EU諸国間の出入りが自由になり、気候のよいフランスに移住してみようか、と考える「ぶらり移住組」。「ぶらり」といってもはたから見るほど楽ではなく、言葉の壁、国民性の理解しきれないところでのわだかまり、と苦労は重なる。それでもはるばる海を越えてやってきて、他国を理解しようとするイギリス人がいて、自国を知ってもらおうとするフランス人がいれば、一緒の土地で暮らしていくことは不可能ではない。お互いが尊重しあう気持ちを忘れてはならない。イギリス人も頑張ってフランス語を話してみる。フランス人は英語をしゃべらないと言われるが、イギリス人でフランスに住んでいてもフランス語をしゃべらない人が多い。フランス人も「またイギリス人が来た」と避けるのではなく、同じ「人」として相手の話を聞いてみる。この辺りは、そういったお互いの努力がなされた土地と感じる。庶民レベルの交流が発達し、お互いいろいろなものを吸収できたら、これほど楽しいことはないのではないだろうか。

(写真はエイメの町にあるイギリス食材店。いかに多くのイギリス人が暮らしているかがうかがえる。)

「イギリス人はフランスで何をしている?」


南西フランスのカントリーサイドも、ご多分に漏れず過疎化が進む。若者は職を探し、大きな都市へ出てしまう。家は空家となり、やがてハトの巣、蜂の巣、こうもりの巣となる。そんなところ、登場したのがDIY(Do It Yourselfの略 日曜大工の意)好きのイギリス人。彼らは古き良きものを愛し、それらをきれいに保存する方法を知っている。イギリスの家、車を見よ。アンティーク、クラシックなものがずらり。ここ数年多くのDIY好き、大工、土地転がし、家転がしをする人々が、フランスの崩れかけた家を買い求め、きれいに直し、他のイギリス人に売り渡す、ということを繰り返している。うわさでは、もう直すべき良い物件が尽きてしまった、というまで言われる。フランス人としても、自分の生まれ育った町、村が寂れていくのは悲しい。このように誰か復興してくれる人を待っていた。おかげで町はきれいになり、夏は帰省客、観光客でにぎわうようになり、イギリス人さまさまなのである。ただ、このようにすると家の値段が上がる。イギリス人はフランス人から、ボロ家をただ同然で購入し、きれいになった家を他のイギリス人に高く売る。家の相場はイギリスよりフランスのほうが安いので、フランス相場で多少高くても、イギリス人は購入する。従って、フランス人にとって、このように改築された家は「高嶺の花」のような向きがある。
こうして大工が大工を呼び、DIY好きがDIY好きを呼んで、フランス移住ブームがおこった。まずお父さんだけ来て働き、これは大丈夫、と思ったところで、家族を呼ぶ。生活するだけ、収入が得られるか、という疑問がある。人にもよるが、イギリスの家を売り、売った家の半値でフランスに家を買い、残ったお金を生活費、家の改築などに充てることが多い。30、40代のご夫婦も多く、小さな彼らの子供たちのバイリンガル教育も狙っている。暖かくのびのびしたカントリーサイドで、フランス語を学ぶ、とは日本人のみならず、同じヨーロッパの国に住んでいても、魅力を感じるのである。
フランス人とイギリス人のカップルもいる。初めイギリスに住んでいたが、子供の教育環境を考えて、フランスに引っ越してきた、というフランス人の彼女は通訳をし、イギリス人の旦那さんは家、庭、プールのメンテナンスを請け負っている。それだけ需要があるのである。家の売買に伴う書類は全部フランス語、イギリス人にとって通訳がいてくれると安心して書類が交わせる。多くのイギリス人別荘所有者は、自分たちのヴァカンス以外は、家を人に貸している。オーナーはイギリスにいるので、現地で鍵の受け渡し、家の管理をしてもらえる人が必要となる。
フランスに別荘を購入し、自分のヴァカンス以外は、他のイギリス人に貸し出して収入を得る。そして家の管理人にイギリス人を雇う。ここにイギリス社会が存在するのである。イギリス人同士の支出入が成立する。フランスからはよい環境を提供してもらうのみである。イギリス人が食料を買い、家具を買い、お土産を買うと、フランス経済は潤う。イギリス人、万歳!である。残るのは彼らの心理問題のみ。こうもイギリス人が多いと「侵略」された気分になるという、と言う人も少なくはない。
(写真は家畜小屋兼住居であった農家を、イギリス人が数年前改築した我が家)

「ロザン町のガラクタ市」



ドルドーニュ県に位置するエイメを南に5kmほど下ると、そこはもうロット・エ・ガロンヌ県。その最初の町がロザン。ここは中世の町でも、マルシェ広場を中心に形成された、中世の新都市(BASTIDE)のエイメとは異なり、湖を背にした城を中心に、扇形に町が構成されています。
このロザン町で開かれたガラクタ市(vide greniers)。朝7時から、掘り出し物目当てのさまざまなコレクターたちで、町は大賑わい。芸術市も併設されるということで、私も和紙・折紙・水引で作ったグリーティング・カードを持って、出店に臨みました。
 和紙カードを作り始めたのは、数年前のクリスマスのこと。折り紙でサンタクロースやトナカイを作り、カードにぺたぺた貼って出来上がり。友達に送るだけでは飽き足らず、色々な人に見せて回ると、購入希望者が出てきました。最近では、折るものによって和紙を使ったり、背景に友禅紙を用いたり、自分で結んだ水引も取り入れて、作品の幅を広げています。ちょっとした異文化交流です。
さて、この日も色々な人に出会いました。息子が日本の大学に在籍している、というフランス人女性は、折紙を独学しているとのこと。早速、目の前でスラスラと鶴を完成。それを見ていた向かい側のハチミツ売りの青年、「どうやって折るの?」と興味深げに覗きにきました。ここでお店は「鶴折講座会場」となり、彼は2、3羽完成させ、満足気に帰って行きました。
文化を通した、人との出会いって、面白いものですね。こういった交流の輪を、少しずつ広げて行きたいものです。