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担当 田村詩穂 http://ca3539tt.tripod.co.jp
• 時代を超えて生き続けるアルザスのシンボル“プレッツェル”
• 伝統料理タルトフランベは残りものから生まれた?
• アルザシアン(アルザスの人々)元気の源、シュークルート
• 薬用効果もあると言われた祝日のお菓子「パンデピス」
• ガレット・デ・ロワはアルザス生まれ
• ガレット・デ・ロワを家庭で作ろう!
• “アルザスのブリオッシュ”と呼ばれるクグロフ
• アルザス地方のプルーン「クェチュ」
• 独特な風味を楽しみたい・・・マンステール
担当 一瀬桂子
• 歴史に翻弄された街、ストラスブール
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時代を超えて生き続ける
アルザスのシンボル“プレッツェル” |
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| 肌を突きさすような寒い毎日が続く、12月のストラスブール。小道からメインストリートまで、1本の木から焼き栗屋さんまで、街はイルミネーションで包まれます。雲ひとつない冬の青空の下、カテドラル広場には、クリスマスマルシェ(市場)の熱気に誘われて、たくさんの人々が集まります。マイナス10℃の空気は嘘のよう・・・ホットワインの熱い蒸気、木製のスタンドにぶら下がったブレッツェル・・・
真っ赤に凍って強ばった顔もほころんでしまう風景です。 芯から冷えきってしまった体を温めるにはホットワイン、腹ごしらえにはブレッツェルがアルザス流です。ブレッツェルは無限大∞のかたちをした黄金色のパン。こんがりと焼けた表面
は、充分に膨らみ、ぱっくりと割れた部分には、真っ白な生地のうえに粗塩がのり、味と食感のアクセントがあります。アペリティフ用の小さなクラッカーは、いまではフランスのどこでも売られていますが、その起源はアルザスにあります。
アルザス地方には、中世からブレッツェルを食卓に祝祭日を祝う習慣がありました。ふたつの大きな円を描いたようなかたちから太陽の象徴とされ、中央の結び目のような部分は、チャンスや順調なエネルギーサイクルを表す縁起のよいものとされてきたからです。祝日近くになると、街のパン屋さんのウィンドウには30cmくらいの巨大なブレッツェルのオブジェが並ぶこともあります。
アルザス地方のシンボルとなり、特産物とされたブレッツェルですが、その製造は、法律により祝祭日の1週間前後と限定されていました。しかし、小麦粉と塩、水と油という身近な材料で作られるため、安価なブレッツェルは、飢饉のときの常備食として不可欠な存在となっていました。製造の一般
化を求める多くの人々の要求で、週3回の製造が許可されるようになり、パン屋さんの独占的な製造領域となったのは1492年のことでした。それ以来、ブレッツェルはアルザスの手作りパン屋さんの象徴となったのです。ちょうど腕を組んだようにみえることから、フランス語の<bras>に由来するといわれる名前も、パン職人の腕をイメージしたものではないでしょうか。
シンプルながらも、愛らしい色とかたち、そして中世以来のパン職人精神とともに、まさに永遠にアルザシアンの心のなかに生き続けていく味です。
(田村詩穂)
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伝統料理タルトフランベは残りものから生まれた? |
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| 初めてストラスブールに到着した日は大雨。右も左も分からず、傘の下、9月の寒さに肩をすくめながら歩き辿り着いたカテドラル広場で、暗がりのなかのカテドラルに震撼さえした最初の感動は、いまでも体が覚えています。
このカテドラル広場に、アルザス伝統料理のひとつ、タルトフランベが安く、美味しく楽しめるレストランがあります。タルトフランベとは、薄く、四角いパン生地の上に、フロマージュブランと生クリーム、具を散りばめたピザのような
アントレです。 たくさんの種類があるなかで<Simple>と呼ばれるのは最も伝統的なタルトフランベ。具は玉 ねぎとベーコンです。食べるときには十字架に切れ目をいれて4等分し、具を包み込むように巻いたり、折りたたむのがコツです。石造りの洞窟を薄暗く演出したレストランの壁には、アルザス地方の昔を語る絵の数々。ときには、アコーディオンの演奏を聴きながら、アルザスの食を満喫できます。
タルトフランベは、石釜によるパン製造から生まれたものです。ボージュ山脈の麓にあるアルザスの田舎では、薪で高温にした石釜でパンを焼く習慣がありましが、石釜を高温にするまでの時間は、あまりにも長い。そこで、石釜が熱くなるまでの間に余りのパン生地に玉
ねぎなどの具をのせて焼いたのがタルトフランベ。大量の薪、時間、余ったパン生地を無駄 にしないために考え出されたものだったのです。そもそもフランベとは<燃やされた>という意味で、薪を「燃やす」までの時間で出来上がるタルトというわけです。
戦後、田舎では都市のパン屋さんとの製造競合や技術改良により、石釜がだんだん姿を消してしまいますが、民衆の知恵から生まれた食のアイデアは生き続けました。多くの田舎のレストランでは石釜のオーブンを修復し、さらに都市のレストランでも、メタリックのオーブンでタルトフランベを作るようになりました。このように、タルトフランベは70年代のレストランブームの火付け役となり、白ワインに最適なアントレとして復活したのです。
洞窟レストランの石釜では、キノコや、ソーセージ、マンステールチーズなど豊富な種類のタルトフランベが焼かれ、また、デザートにはリンゴやブルーベリー、と新鮮な果
物を使ったタルトフランベが楽しめます。そのひとつ、リンゴのカルバドス風味は、テーブルでカルバドスをふりかけ、火をつけて瞬時に香りをうつします。まさに釜の中でタルトが燃やされている瞬間を見ているかのようでした。アントレからデザートまで、タルトフランベのコースを一度試してみてはいかがでしょうか。
料理レシピはhttp://cookpad.comの「タルトフランベ」で検索しました。
(田村詩穂)
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アルザシアン(アルザスの人々)元気の源、
シュークルート |
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| 酷寒のアルザス地方らしい料理といえば、シュークルートです。黄金色で、まるでキャベツの酢漬けのような微妙な酸味とともに、口のなかでとろけるような食感は一度食べたら忘れられず、ボリュームがあるにもかかわらず不思議と食が進みます。
「シュークルート」という名称は、ドイツ占領下の16世紀にドイツ語でSauerkrautと呼ばれていたものがアルザス語に変わったもので、ドイツ文化の名残を残す料理のひとつです。
中世からアルザス地方では、5〜6キロもの重量があるキャベツが栽培されていました。伝統的なシュークルートの製造方法は、このシュークルート用キャベツを使い、20キロもの容量がある樽で大量に漬けら、というもの。キャベツの千切りに、ネズやニワトコ、アキギリ、トウバナ、フェンネル、チャービル、西洋ワサビなどの多様な調味料が使われていました。
その当時のシュークルートが時代とともに変化し、現在アルザス伝統料理のレストランに欠かせない大皿料理として親しまれているのが、シュークルート・アルザシアン。手間と時間のかかる調理が簡略化されていますが、180度のオーブンで、2時間かけて調理される特大大皿料理です。その調理法とは・・・
3人分で1キロのキャベツをじっくりと煮込み、ガチョウの脂身かラードと酸味のある白ワイン(リースリングが一般的)を加えて、とろ火で1時間ほど煮込みます。白ワインをビールで代用し、苦味のあるものに仕上げる工夫もされているようです。調味料は、にんにく、ネズ、コリアンダー、グローブ、ローリエ、胡椒。また、シュークルートを囲むように盛り付けられる豪華な付け合せもシュークルート・アルザシアンの特徴です。豚の骨付き肩甲とロース、ハム、knack(小さくて細いソーセージ)、クネル(肝臓のすり身で作ったつみれ)といった肉類、さらにホクホクのジャガイモです。定番のジャガイモ以外の付け合せは、レストランや季節によっても変化するので、一年中、様々なレストラン独自の味を堪能したいものです。
3人で1キロものキャベツをたいらげてしまうアルザシアンの胃袋には、さすがに驚いてしまいますが、キャベツはカリウム、ミネラルとビタミンC・B群が豊富で、栄養がたっぷりで、ワインの酸味による食欲増進の効果もあります。寒い冬、白ワインを片手に、家族や大勢の仲間でシュークルートの大皿を囲み、体も心もホカホカに温まる。これが、アルザシアンの元気の源なのです。(田村詩穂)
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薬用効果もあると言われた祝日のお菓子「パンデピス」 |
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フランスに住んだことのある方ならカステラのような外見に惹かれて、誰でも一度は手にしたことがあるのではないでしょうか。パンデピスpain
d'epiceは、クグロフ・ブレッツェルとともに、“アルザスの3大パン”といわれています。祝祭日によって、ハート型や星型、子供のキリストをイメージしたものなど、厚みや固さも様々です。
<epice>とは、シナモン、アニス、グローブ、ショウガ、ナツメグなどの香辛料ミックスです。それに加え、アルザスのハチミツがパン生地のベースになっているので、自然だけど濃厚な甘味とエスニックの独特の風味があります。ほかにも、オレンジやレモンの欠片、クルミ、ノワゼット、アーモンドが入っているお菓子のような贅沢なパンです。
≪‐クリスマスのお祝いには、ハンセン病患者に大きなパンデピスを贈呈すること≫。これは1412年、ストラスブールの病院に残る記述の一部で、パンデピスについてのもっとも古い文献で、当時はパンデピスは病気に効くとされていたようです。
1508年には、Geilerという説教師が、サンニコラのときにパンデピスを神への奉納物としたというエピソードもありますから、パンデピスは、祝祭日の奉納物であり、庶民の間では、薬用効果も期待できた最高のクリスマスプレゼントだったのです。
そして、宗教的な行事に合わせて修道院で製造されていたパンセピスは、1557年に、アルザスの特産物の製造を規制緩和する法律によって、製造が一般的に許可され、家庭の食卓で祝祭日を飾る一品として親しまれる存在となっていったのです。
私が、初めてパンデピスに出会ったのは、クリスマスのマルシェです。ちょうど手にのるくらいの小さい星型のものでした。マルシェはクリスマスに向けて12月初旬からカテドラルの前やブログリ広場で開かれます。冷たい空気の中で凍ってしまった体を、まずホットワインvin
chaudやホットオレンジジュースjus d'orange chaudで温め、パンデピスもどうぞ賞味してみてください。それが、ドイツとフランス国境発のクリスマスの香りです。(田村詩穂)
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ガレット・デ・ロワはアルザス生まれ |
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キリスト降誕と、東方の三博士の訪れを記念する1月6日、公現祭。年明け早々の時期に登場するのが、フランスではお馴染みのガレット・デ・ロワです。フランス全土でよく知られているのは、Fangipane−フランジパン−というパイ生地で作られたアーモンドクリーム入りのパリ風ガレットですが、このガレット・デ・ロワの発祥地は実はアルザス地方なのです。伝統的なガレットはブリオッシュ生地で大きな冠やブレッツェルのかたちで、上にはアーモンドの粉が散りばめられていたといわれ、もともとギルトの長選びに使われていた高価なお菓子でした。この伝統が受け継がれ、クリームの中にソラマメを入れ、これに当たった人がその日の食卓の王様になる、という王選びのゲームは、現在ではフランスの家庭では恒例行事となっています。ソラマメの代わりに小さな陶器の人形が代用されているのが一般的で、これには熱狂的なコレクターもいるようです。
ガレットは徐々にパン屋さんで売られるようになりましたが、貧しい庶民はなかなか買うことができませんでした。しかし、ある改革者は、<「くじ」同様、神のみぞ知る運命に委ねる心は誰にでもある。その神の施しを受けるべきは庶民である>といい、庶民には無償でこのガレットを与えたそうです。さらに、パン屋さんはガレットの売上金の一部を社会援助のために寄付していたようですから、ガレットは施しの意がこめられたお菓子だったと言えます。(田村詩穂)
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ガレット・デ・ロワを家庭で作ろう! |
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私が初めてガレットに出会ったのは、友達が「スイートポテトみたいなお菓子があるよ!」と、ひとかけらプレゼントしてくれたときでした。公現祭の祝日に限らず、フランスで日本の甘いさつまいもが懐かしくなったら、こんがり黄金色のパイFrangipaneを作ってみてはいかがでしょうか。
今回は、ガレット・デ・ロワの作り方を紹介します。
まず、クリームを作ります。フライパンのなかに全卵と一緒に小麦粉を入れ、牛乳を加えながら塊がなくなるまでかき混ぜます。ここで弱火にし、濃厚なクリーム状になるまでさらにかき混ぜます。ここに砂糖とバニラ、アーモンドプードルを加え、均一の状態になるまでかき混ぜ続けます。クリームが出来上がったら、オーブンを160℃に温めておきます。
次にパイ生地です。生地は2枚、25cmほどの円状にし、バターを塗ったオーブンシートに置きます。1枚のパイ生地の中央にクリームを、端につかないようにのせます。ここで、ソラマメかそれにかわる小さな陶器の人形を入れるのを忘れずに。このうえにもう1枚の生地をのせ、端をしっかり留めます。水小さじ1/2で卵黄を溶き、ガレットの表面に塗って35〜40分、オーブンにかけて出来上がりです。(田村詩穂)
材料:直径25cmのパイ型ひとつ分(約6人分)
パイ生地2枚
全卵 3個
卵黄 1個
小麦粉 大さじ3
牛乳 25cc
砂糖 90g
バター 25g
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“アルザスのブリオッシュ”と呼ばれるクグロフ
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ターバン型のパンといえば、誰でも思い浮かべることができるでしょう。アルザス地方の1400件ものパン屋さん・お菓子屋さんで作られていると言われるほど有名で、クリスマスや復活祭の祝日、ブドウの収穫時期や結婚などお祝いの食卓などに必ず登場する「お菓子の王様」クグロフです。てっぺんに丸ごとの大粒アーモンド、中にレーズンが入っているものは<Sucre>と呼ばれ、朝食に、またデザートとして食べられています。また、クルミとベーコン入りの甘くない<Sale>サレというのもあり、アペリティフ向けで、アルザスの白ワイン、カクテルとの相性は最高です。
クグロフは、アルザス地方でオーストリア文化の影響が強かった時代の面影をいまに残す郷土料理のひとつです。伝説では、リボヴィレのキューゲルというお菓子屋さんがベツレヘムから帰るオーストリア東方三博士をもてなした時に特別な型を使い、一晩中かけてお菓子を作り、感謝の気持ちを伝えたこと。これがクグロフの起源だと言われています。
また、マリー・アントワネットがフランスに嫁いだときには、ドイツ国境のストラスブールのロアン宮殿に滞在し、身の回りのものをすべてフランス製のものに着替えたというエピソードもあります。このとき、マリー・アントワネットが母国の銘菓クグロフをパリに紹介したことで、クグロフはフランスの全土に普及しました。18世紀ごろからは、クグロフは、温かいアントルメ(チーズの前、デザートとして出される料理)として食べられるようになり、徐々に、Brioche
d'Alsace(アルザスのブリオッシュ)の別名で知られるようになりました。
またクグロフという名称は、ドイツ語で球を意味するkugelと、ケーキの膨らみを意味するhopf、hupfの複合語とされています。しかし、一方では、ターバン型はストラスブールの貴族議員が祝祭のときに着用していた帽子のかたちにそっくりなので、帽子のGugelhutに由来するともいわれていて、名前の起源については定かではありません。しかし、それだけに、クグロフを愛する人たちの想像に任されているのかもしれません。
クグロフは伝統的には素焼きの鋳型で焼かれています。この鋳型はカテドラル広場やプチットフランスの界隈にある陶器屋さんで見かけますが、少し足を伸ばしてアルザス地方陶器の里スフレンハイムへの旅もお勧めです。伝統の職人技術を間近で見ることができます。(田村詩穂)
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アルザス地方のプルーン「クェチュ」
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アルザス地方の代表的な果物にQuetsche
d'Alsace(クェチュ)があります。クェチュの木はそれほど高くないのですが、白い花と濃い緑色のたくさんの葉の中に、よく見ると黒くて大きな実をつけています。実は直径3〜4cmの卵形で外皮は紫色、中は黄色。「プルーンの原型」とも言われているほど、その外見はそっくりです。
ところで、アルザス地方で最初に果物を栽培したのは、ケルト民族です。リンゴ・洋ナシ・プルーン・栗・サクランボ・ヘーゼルナッツ・カリン・ラズベリー・スグリ(小粒のラスベリー)と、想像以上の種類を栽培していました。古代ローマ時代になると、さらに地中海からモモ・アーモンド・クロイチゴ・チェリーの栽培方法が伝わり、742年から814年までフランク国王であったシャルルマーニュは、ケルト人の果樹園を帝国直属として支配しはじめました。これによって、ますます果樹栽培が盛んになり、クェチュもこのころから栽培されるようになったと言われています。第2帝政の治世から19世紀後半までに、クェチュ栽培者は80万人にもなり、1960年までが全盛期で100万人に上ったそうです。
現在、年間のクェチュ生産量は1800トン。春から夏の温かい時期になると、スーパーや市場に山盛りになって売られていますが、生産量の3分の2は<Eau-de-vie>蒸留酒になっています。クェッチは80%が水分で、ミネラル、ビタミンが豊富なフルーツなので、病気に効く、とお医者さんが薦めるほどだそうです。クェチュのお祭りでは<クェッチは、新鮮で熟れていないのは食べるべからず>という少し皮肉った言葉で称えられているほどですから、ブランデー以外でクェチュの美味しさを味わうには、熟れたものを調理するのがいいのでしょう。
私がストラスブールのご家庭で頂いたものは、「クェッチ入りのマンディアン(パンプディング)」でした。用意するのは残りもののフランスパンとミルク、クェッチです。パンはミルクに浸しておき、クェチュは皮ごと半月型に切って種を抜きます。これらを交互に押し重ね、オーブンでじっくり焼くだけの簡単料理です。それでも、クェチュの紫色の果汁が生地に染み込んで、奥深く、でもさっぱり味。食後には新鮮なフルーツ、もしくは熟れた果物をたっぷり使ったフルーツタルトを頂くのが一つの習慣であるフランスの家庭には、もってこいの一品です。(田村詩穂)
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独特な風味を楽しみたい・・・マンステール
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アルザス地方のチーズといえば、まったく癖のないヨーグルトのようなフロマージュブランと、見かけによらず癖のあるマンステールです。今回は、アルザス地方の白ワイン、ゲベルトラミネールGewurtztrminerと一緒に是非味わいたいチーズ、マンステールを紹介します。
鼻を突くほどの強さはなく、はっきりとした混じりけのない風味、とフランス人の間では評されているようですが、薄黄色のカマンベールといった外観から淡白な味を想像していると、意外な風味を感じるかもしれません。香草のクミンがまざったものもあり、マンステールの香りとの相性をより楽しむことができるでしょう。
マンステールが生まれたのは、アルザスのオウベイ渓谷にあるベネディクト派修道院でした。9世紀半ばころからこの大修道院は牛の移牧を統制し、司教政権は栄華を極めたと言われています。
マンステールに関する歴史的な記述として有名なのは、1339年マンステールのサングレゴワール大修道院院長とマンステール渓谷の住民共同体(中世アルザスの特別共同体)との間で締結されたマルカール条約です。共同体は修道院と従属関係にあり、復活祭のときにはマンステールを寄与することが義務付けられていたそうです。また1371年の記録には、土地の裁判権を司る地方領主への納付が義務的だったことが記されています。1500年代になると、マンステールは人々の生活に浸透し、ストラスブールの公官の間では重要な交換紙幣の役割も果たしていたようです。ちなみに、この当時のマンステールは直径30cm、高さ11cmもあったそうです。現在では大きいもので直径19cm、450g、小さいもので、直径6cm、120gですから、かなりの大きさであったことが分かります。
やがて、30年戦争に伴った伝染病の流行や飢饉で多くの人が犠牲になり、チーズの製造は衰退し、さらにフランス革命の1794年には、コルマールでのバター製造を優先することを理由にチーズの製造が禁止されます。マンステールが再び人々の手に渡るようになるのは、18世紀末のストラスブールやアルトキルシュでのことでした。アルザス・ロレーヌ地方がドイツの支配下となった第1次世界大戦と、再びフランスに返還された第2次世界大戦を乗り越え、1969年にAOC(原産地統制名称)、アルザス地方のチーズとして登録されました。
製造の際に使用されるのは無殺菌または低温殺菌した牛乳で、凝固したあとに成型、24時間後に水切り、その後、保存・味付けのため、最低14〜21日間塩漬けされます。再度水切りのあと、もう一度塩漬けされ、2日ほど経過してから11〜15℃の状態で熟成されます。このような時間と手間をかけた製造が現在でも125個所に及ぶ農場で行なわれています。(田村詩穂)
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歴史に翻弄された街、ストラスブール
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ストラスブールは幾度となくドイツ領とフランス領を行き来し、その度に人々はドイツ語とフランス語を使い分けて来た。街にはドイツ語表記とフランス語表記が併用され、年配者を中心に今でもドイツ語に堪能な人は多い。
アルザス地方の方言も何処となくドイツ語に近いフランス語のように感じる。
ドイツ人が建設したコロサル風と言われる荘厳な建物と、フランス人の建設した優美で繊細なゴシック建築が混在している。
1944年11月23日はフランスが完全にドイツから解放された日だが、2004年は60周年にあたり19〜21日の週末は街中あちこちでそれを記念するイベントが開かれ、ラファラン首相を招きセレモニーと大聖堂では記念のミサも開かれた。国家の主要人が公人として宗教的儀式に参加する事は日本では考えられないことだが、さすがカトリックの国フランスである。
本物には劣るがパリのシャンゼリゼで毎年行われる革命記念日のパレードさながらに戦闘機が上空を一飛した後、音楽隊、色とりどりのアルザス地方旗の行進へと続き、最後はセレモニー招待客(第二次大戦時にアルザスと関わりが深かった人とその伴侶)の行進で締めくくられた。
ル・クレール将軍はフランスではシャルル・ド・ゴール元大統領と並んで人気のある人物の一人だが、ここストラスブールも例外ではないようで、街のメイン広場には二人の巨大肖像画が掲げられ、市役所ではル・クレール将軍の生涯を紹介する展示会が開かれ長い列が出来ていた。
「我々の美しい国旗がストラスブールの大聖堂の上に再びたなびく時まで、武器を置かない事を誓おう!-1941年3月2日−」
ドイツからこの街を取り戻す事を誓った彼の言葉である。この日、大聖堂の頂上には60年前と同じようにフランス国旗がたなびく光景が再現された。
記念写真を撮影したり、クグロフ(アルザス地方の伝統菓子)が振舞われたり、終戦記念日と言っても人々の表情に悲惨さは感じられず、むしろ開放の歓びに満ち溢れているかのようだった。勝利で迎えた終戦との違いであろうか。
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